研修医レポート
総合診療部臨床研修医 江島 俊
自己実現に近づけた2年間
進む診療科:病理診断科
この診療科を選んだ理由
病気の本質を知ることが出来るからです。
関門医療センターで研修して、印象に残っていること
総合診療科ローテ中に担当した、重症肺炎患者のMさんのことです。
入院時からMさんは、自分は介護が必要な家族を家に残しているのでまだ死ねない、と仰っていました。
しかし治療の効果は乏しく、Mさんの病状は悪化し、苦痛を和らげるために最期は鎮静薬を使用しました。
鎮静の直前に「先生、今までありがとうございました。」と仰った時のMさんの表情が、今でも瞼に焼き付いています。
目指す医師像
病気を根本から治せる医師を目指します。
地域医療研修を終えて
研修医生活二度目の秋の寂寥感が身に沁みる頃、私の心にも色なき風が吹いておりました。
下関の少子高齢化を間近でひしひしと感じたからです。
関門医療センターで働いていると、救急患者の殆どが高齢者のようにさえ思えてきます。
大腿骨頸部骨折と誤嚥性肺炎の多さたるや。
調べると下関市の高齢化率は現状35.5%と全国平均28.4%を大きく上回っており、なるほど高齢化が目立つはずです。
これは下関に限らず、山口県や日本全体が高齢化に向かっているので、致し方ない部分でもあるのですが……。
下関駅界隈の中心市街地も、一歩路地を入ればさながらゴーストタウンのようです。
私は故郷のこの惨状に対し、虚無感を抱きました。
そうした中で、ふと実家の近くに新しく大きな病院が建ったことを思い出しました。
そして次の瞬間に私は関門医療センターを飛び出し、「よしみず病院」の門戸を叩いていたのでした……。
よしみず病院は旧国立病院(関門医療センターの前身)跡地に2021年新築移転した病院です。
ここで4週間研修をさせて頂き、日々の病棟内業務をはじめ、同系列の展開する様々な施設の見学と、多職種の方々のお話を伺う機会を得ました。
訪問診療・看護・介護、通所リハビリテーション、ホームヘルパーステーション、ケアプランセンター、
特別養護老人ホーム、グループホーム、デイケア、デイサービス等々……。
各所で働くすべての方々に、患者さんや生活困窮者や高齢者の方々に対して一人一人親身になって寄り添う医療の姿がありました。
皆さんが適材適所自分の役割に誇りを持ち、支える側として真摯に医療に貢献されていました。
そんな方々の姿を見て、私は勝手に無力感を感じていた自分に対し忸怩たる思いでした。
少子高齢化の抜本的な解決策は未だに思いつきませんが、下関が健やかで笑顔があふれる町になるための方法を、研修を通じて垣間見た気がしました。
研修生活も残り数か月、私も自分の役割を全うし、少しでも下関の地域医療に貢献していきたいと思います。
なんたって元市長の息子ですから。
研修2年目にかける思い
うららかな春の日差しが心地よい季節となりました。
入職したばかりの頃は、緊張と業務の煩雑さに追われて周囲の風景を見る余裕がありませんでしたが、
一年経って心に多少のゆとりも生まれ、風に舞う花吹雪が目に眩しい今日この頃です。
この一年間で様々な知識や考え方を学びましたが、正確な診療・診断にはまだまだ多くの勉強が必要だと感じています。
放射線科の読影画像や、病理の顕微鏡像など、今までは知識がない状態で見てもさっぱり分かりませんでしたが、
少しずつ基礎知識や見る目が養われるにつれ、臓器・組織・細胞の異型性などが見えてくるようになってきました。
同じ風景でも見え方によって景色が異なる。それはまるで今年の桜のようです。
半年の節目に
澄み切った秋空が清々しい季節になりました。
私は家にすぐに帰りたくない時は、あえて病院の裏口から遠回りをして、
海を眺めながらセンチメンタルな気分に浸りつつ帰宅します。
最近はそんな海風も冷たくなってきました。
先月この病院で生まれた姪も、体重が1.5倍になり、
時の流れの速さ……というよりは乳児の成長速度の速さを実感する今日この頃です。
関門医療センターで研修してはや半年が経過し、様々な経験がありました。
相変わらず失敗続きで枕を涙で濡らす日々ですが、自分で出来る仕事内容も少しずつ増え、成長途中にあるのを実感します。
暗闇のトンネルを灯りを持って少しずつ進んでいるような感覚です。
時折仕事の重責感に圧し潰されそうになりますが、
過去の経験が自信となって自分を支えてくれるため、なんとか踏みとどまっています。
残り1年半の研修も、今後の長い医師人生の希望の灯りとなるのでしょうか。
ちなみに先月生まれた姪の名前も「あかり」です。
3か月の経験とこれからの挑戦
仕事に関する話で、「3の法則」というものがあります。
働き出して3日で挨拶ができるのか、積極性があるのかが分かり、3週間でメモを取ったり、分からないことは確認するかが分かり、
3か月で慣れや中だるみが現れ、3年で仕事ができる人材、出来ない人材に育ったかが分かる、というものだそうです。
今はまさに中だるみの季節真っ盛りですね。
私も最近やっと病院の雰囲気に慣れてきましたが、確かに不注意が増えてきた気がします。
きっと仕事の一部分だけを理解して本質を理解していないのでしょう。
そもそも、自分に積極性があるか、わからないことを逐一確認しているかと改めて問われると全く自信がありません。
というか、思い返してもこの3か月間は己の無力さを実感する苦い経験ばかりです。
この経験が本当に3年後に私を一人前の医師に育ててくれるのでしょうか?それは今後の自分の研修に対するあり方で変わってくる気がします。
これが本当の医師の上にも3年、ですね。
患者さんのために実現したい医師としての人生
医療は人の死を止めることはできません。
ただし、儚い一生を充実したものにするために、少しだけ手助けをすることはできます。
それだけの存在ですが、限りある生命だからこそ、その少しの手助けが貴重なのだと思います。
医師はそのための専門職にすぎません。
よって、医療も医師も病気や怪我をした人を元の状態に戻すことが目標なのであり、それ以上の目標を掲げることはできないのだと思います。
国公立大学や私立大学を含め、一人の学生が医学部を卒業するまでにはかなりの額の国費が投入されています。
それに加え、一人前の医師となるにはかなりの時間を要します。
よって、高齢者より若い人に医師になってもらった方が費用対効果も良いということになります。
私自身も学士編入試験を経て、今年の4月より研修医となりました。
周りの同期よりも高齢で医師となったので、普通の医師より活躍できる期間が短いのです。
なので、誰もがやる分野でなく、人手不足の分野を選ぶことで、活躍できる期間の短さを補おうと考えています。